黄 金 地 鴫 随 筆 集 そのⅠ |
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二十四節気自然観察記を始める
第一話 1/二十四節気 小寒 01.06金曜日 正月松の内も明けない6日は小寒です。松の内は道路工事も再開せず静かです。スーパーには七草粥用の小さな籠のセットが売られている。我が家は未だ御節の残りの田作り、ダイコンとニンジンの生酢を食べている。木曜日は金華鯖の押し鮨の日だ。今年の初物を食べた。水路のタシギも定着し始めた。スマホの中継所アンテナはハシブトガラスの営巣場所で縄張りになっている。時折、猛禽類が来る、昨季はハヤブサとオオタカが来た。今季はオオタカ成鳥雄が止まる、田圃の上空を飛び去る姿は雌雄や年齢不詳になる。フィールド内にはチョウゲンボウ、ノスリ、ハイタカ、ツミが河川敷から田圃上空に飛来する。屋敷林で狩った獲物を食べた食痕が残る。コガモ、コサギ、ドバト、キジバト、キジの羽毛が見られた。猛禽類が現れた後は田圃にタゲリが全く観られない。長いと三四日間は不在になる。そんな時はハシボソガラスの天国になる。トラクターの後から付いていくのはカラスとハクセキレイ、今季はタヒバリがかなり多い。反面、ツグミが少ない。厳寒期だが雨が多いから田圃は乾燥せず水路も湿ってタシギは採食に不自由は無い。農道を歩いていると二番穂からタシギが飛び立つ事が多い。肝心の三面コンクリート水路は水が流れてコサギが捕食している。例年なら乾燥していて生活排水が流れ込む所で採食するが、今季は何処でも湿地だから個体数は限られている。早咲きの蝋梅が香っている、我が家も少し遅れて咲き始めた。農家の生垣に白い藪椿が咲いた、屋敷林の藪椿も咲き始めたが本番は三月から。団地の山茶花は見頃を迎えている。秋から赤く実ったピラカンサスはほぼ食べ尽くされた。人通りの多い場所に一部残っている。クロガネモチは大豊作で大木に真っ赤に実る。年が明けてネズミモチはムクドリの大群に食べ尽くされる。我が家は千両は不作、コムラサキシキブは大豊作、ジョウビタキは渡来が遅れた、♀が来た、♂も来た、今は♂が定着した。バードバスがお気に入り。何度か凍結した。雪は未だ降らないが日本海側は大雪、豪雪になった。冬鳥があちこちで観られる。多摩川のヒメハジロや我が地元の江戸川土手はコミミズクで関東のカメラマンが大集合した。何十年か前のハマヒバリを思い出す。カメラマンは当時より多くなった、リアルタイムの情報が瞬時に拡散する。多くは地名を伏せるが一部は開示する。賛否両論あるがこの時代には大集合は嫌われるだろうが、連絡網を持たないビギナーは何処でも行きたいから喉から手が出そうな程情報が溢れている。観たいものを検索すればある。今は全く興味は無い。身近な自然を自分で探して新しい事を発見する。これがどんな珍鳥より素晴らしい事だと今更ながら気がついた。遅過ぎるかも?。実が食べられる順番はピラカンサス、コムラサキシキブ、ネズミモチ、クロガネモチ、ナンテン、千両や万両、キズタ等で最後迄残るのはノバラ、やヘクソカズラなどが遅く迄残る。リュウノヒゲなどレンジャクが食べ尽くす。ヤドリギは春遅く熟すからレンジャクの渡りで食べられる。江戸川河川敷と干潟などではイカルチドリ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、カワラヒワ、ツグミがグランドや周辺で観られる。アオジ、オオジュリンは年毎に個体数は変化する。カワウは常連、ミサゴも河川上空を行き来する。そろそろチョウゲンボウがペアリングを始める。お天気なら青空にディスプレイフライトが見られる。陽だまりには青色のオオイヌノフグリが咲いている。ホトケノザも薄紫の可憐な花を開く。セイヨウタンポポは畔にぽつんと咲く。意外な場所での出会いは感動する。必ずあるから。最も乾燥する季節です。タシギたちは湿地を求めて小さな水路に入るようになる。観察は今が本番です。大水路も泥地を優先的にタシギが隠れられる草地に擬態している。よく観ないと見えないから見逃してしまい、通り過ぎる頃に飛び立ってしまう。 |
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第二話 2/二十四節気 大寒 01.20 最強寒波 水道水が凍るのは氷点下4℃以下、今回は10年に一度の寒波となった。各地は大雪になり、交通障害が多発した。車、電車、飛行機までトラブルが発生した。我が家のバードバスも終日凍結した。このチャンスを見逃す事は無い。凍結とタシギは面白い組み合わせになる。勿論、同一場所で行動するハクセキレイやクサシギも同様である。ハクセキレイは氷上で採食している。いつもの水路を巡回する。全て1日では周りきれないから明日もフィールド内を巡回する。水路は一部を除き凍結した。タシギやクサシギは不凍場所を見つけて採食している。水路は流れの無い場所は凍結し、生活排水が流れ込む三面コンクリート水路は不凍である。流れがあればそこは凍らないからそんな場所は採食場所になる。関東では雪が積る事は少ないが、積雪した田圃は全面真っ白だが、農道や水路など水場は地面がでる事がある、そこにはタゲリやヒバリ、ハクセキレイ等は採食可能である。肉食性のモズはスズメやカワラヒワの群等をしつこく追う。生きる為のいろいろな工夫が見られる、メジロは雪が被る山茶花の蜜を吸う、ヒヨドリは畑で旬が過ぎた野菜の葉や花蕾を食害する。春は未だ先だから生き物全てが全力で生き抜く。間も無く節分、立春を迎えるから。陽射しは益々強くなるから日の長さもどんどん長くなる。タシギたちは今季はフィールド内に5個体居る。少し少ない。水は涸れないから何処にも居るからポイントが定まらない。我が家のクリスマスローズは花芽が膨らみ始めた。蝋梅はあっという間に見頃は過ぎた。チュウリップは葉が出揃った。以前から観たいと思っていた百舌鳥のハヤニエが今日は間近で観察した。団地で業者が植え込みの剪定作業をしていた。百舌鳥は伐採された木立から大きな蜂を捕食した。これは撮影が間に合わず、次いで再度捕食した、近くの木立で食べると思ったら枝に刺した、ハヤニエだ。それから百舌鳥は伐採場所で獲物をさがしていた。いつもの通り道だから食べられるか否か確認したい。小さな感動が又一つ増えた。現役時代のエピソードがある、現役のころに新潟県粟島に春秋と何年も通った。民宿は定宿で学校の裏にあった。おばあちゃんは畑で収穫した小豆を干しては殻を剥がして小豆を収穫する。小豆は殻に虫、小さな芋虫が入っているからそれを選別して芋虫を鋪道に放り投げる、ジョウビタキはそれを覚えていて、おばあちゃんが小豆の選別を始めると側で待っている。小さな島の小さな畠で採れた小豆は多くは無い、皆んなと一緒に粟島に行った帰りに皆んなに一握りの小豆をお土産に頂いた。そんな人たちの島は昭和時代を思い出す。日本各地の離島は数え切れない程でかけたからどれが一番とは言えないが、便が悪い島程、昭和時代が残っていると思う。未だ行ってない島はトカラ列島、見島などがある。最も行きたいのは屋久島かもしれない。もう一つ、ある年の冬に大きくなり過ぎた庭木のコノテカシワを伐採した。隙間が狭いから越冬昆虫が沢山出てくる。主に緑色のカメムシである。ジョウビタキ雄はそれを見つけては次々に捕食した。一度では廃棄できないから一回に枝を1〜2本だけ処理したから何週にもかかり処分した。その間にでたカメムシは彼の為に処理せずに残した事を思いだす。椅子に座り作業していると周りをぴょんぴょん歩きながらカメムシ探すジョウビタキは可愛いかった。カメラを持つと近づけないのは殺気を感じるのかもしれない。彼らにはレンズは天敵の眼のように見えるのかもしれない。農作業と鳥の関わりは田圃の耕作には牛や馬を利用する事が多い。今でも東南アジアの米作地帯では水牛が活躍している。西表島の由布島では水牛車が観光客を楽しませている。先島諸島では牧場に多くの牛が放牧されている。牛の背中に乗ったアマサギの画像に憧れた。与那国島迄マイカーで出かけた。いろいろな思いでがある。楽しい事は多いけれど、そうでも無い事も少しはあったが、すっかり忘れてしまった。良い事や楽しい事は忘れないようだ。貧乏生活だが土地土地の食材は忘れない、カジキマグロの刺身を買って食べた。時には石垣牛のハンバーグ等格安で入手した。忘れられない思いで。炊飯器もいろいろな遍歴がある。ナショナル電器の1.5合炊き、圧力鍋、一人鍋、IH炊飯器、文化鍋、最終的にはナショナル電器製で二度炊き、柔らかめが好きだから標準で炊飯、その後もう一度水を追加して追い炊き。初めから水は増やせない、何故なら吹きこぼれるから。吹きこぼれ防止対策はビニル袋炊飯などチャレンジしたが芯が残る仕上がりで失敗した。やはり手間も監視不用な電器炊飯器が最適、今ならメスティンが人気だ。コロナ禍でソロキャンプが大人気だ、人との接触が少ないゴルフ、ハイキングなどのアウトドアブームだ。俺は昔からソロカーキャンをやっていたが今は卒業している。専らソロ、ウォーキング&ウォッチングで自主トレ、セルフケアの日々の生活。ただ散歩するだけではつまらない、鳥を見て、花を調べて、虫の声に耳を傾ける。そんな散歩は時間はいくらあっても足りないのです。 |
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第六話 /二十四節気 春分の日03.21 今年は春一番が吹き荒れた、翌日は北風暴風が吹いた。暑くなり寒くなる、均して平年並み、落差が大きくなるのが温暖化。最低気温は氷点下にはならないから早朝からタシギたちは採食を始める。俺が歩き始める頃は休憩している。三月になりフィールド内では徐々に移動がはじまる。見慣れた顔、初顔などが混ざり合う、楽しくもあり突然の別れもある。来季も会いましょう、と言いながらもなかなか再会は無い。毎年、心に残る個体が居る、冬場を通して長く観ているから、互いに性格も分かる。こころの読み合いだ。タシギはいくら愛想が良くても公園のカモのようにはならない。そっと邪魔しないようにしているが、時には勘づかれてしまうから、結果邪魔している。タシギが休む場所は定位置或いは日替わりでちょっとずつ変わる。定位置は過去安心安全が担保された場所、日替わりは周辺が担保されたから。どちらも安全が関わる。連日の観察では時々不在がある、移動していたか、或いは偶然見えない場所に居た、翌日は定位置に居た。何日か不在でも数日後に居る。どちらも拘る理由があるから。冬羽でもいろいろな段階の個体が居る。成鳥冬羽、第一回目冬羽、共に冬羽だが成鳥が幼鳥より換羽は早い時季になるのは自然の事と思う。子育てした親はその子供より早い時季に冬羽になるだろう事は容易に理解できる。秋の冬羽の完成形は成鳥の可能性が大である。勿論、早く生まれた個体は渡りの初期に完全な冬羽、第一回目冬羽に完了している事はあり得るから、確たる証拠を、肩羽羽縁の太さや雨覆の摩耗、褪色、幼羽の痕跡を確認する。それでも確たる証拠が確かめられない事がある。そんな時は成鳥冬羽、第一回目冬羽の区別せずに冬羽としている。日の出が早まり採食も早まるから俺が歩く頃の時間に休憩するタシギも居る。勿論、渡りに備えてエネルギー備蓄が始まるから食べても食べても十分という事は無いから休んでは食べ続ける。併せて警戒心もどんどん強くなる。団地の庭ではサンシュユが咲き、ハクモクレンが満開になった。ヤマブキやボケの花もひっそりと咲いている。久しぶりに夕方前に土手に行った。菜の花は満開でコミミズク狙いのカメラマンがあちこちで構えてる。学校裏東2羽は東西中間で休憩していた。近づいて撮ると小柄は気がついて遠去かり、もっと近寄ると気づかれて遠ざかる。やっと順光至近距離で撮れた。共に第一回目冬羽である。ほぼ完了しているが肩羽は小さく羽縁は細い。庭に直播きしたクリスマスローズは6〜7芽が伸びた。大事に育てている。ジョウビタキ雄がバードバスで丁寧に水浴びした、ツツジの茂みで羽繕いをする、近くにヒヨドリが居るから警戒している。なん度も攻撃されているからそれを防御する為に茂みに隠れて手入れをした。十分に手入れして飛び去った。以前は北海道で繁殖したのが話題になったが、今では国内繁殖地がどんどん拡大している。タシギは足音を聞き分けた。散歩人の足音が近づき遠ざかる、これは安心の警戒、俺はゆっくりと忍び足で近づき、音が近くで止まる、警戒して飛んだ。勿論、身体は見えないようにした。音だけからの聞き分けである。音はある意味振動でもあるから体感でも感じているかも知れない。キツネが雪の下を歩くネズミの音を頼りにジャンピングアタックする。こんな光景をTVで見た事がある。ツグミは何を頼りに地中のミミズを捕食するのだろうか?地中の微かな振動を捉えているのかも知れない。タゲリは10日頃から不在になる、渡去した。久しぶりに土手を歩いたが菜の花は満開になり今季の季節は終了です。今年は満開の菜の花の前で自撮りをテストしてみた。ブルーツースです。なかなか新しい技術を習得するのは容易では無いです。春の草花は楽しみが多いです。毎年、図鑑を開いているがなかなか覚えきれない。田圃は未だ草地が少ないからキジがケンケンと鳴くとオオタカ、ハヤブサが狙っている。水路の草が大きくなるのはGW過ぎてから。キジも隠れ場所が出来れば安心して子育てができるようになる。水路のカルガモももう少し草が生えないと子育てはできない。 |
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第七話/二十四節気 4月5日清明 花祭りの頃、沖縄県ではシーミー祭がある。先祖を祀るお墓の前で家族全員揃って飲食する。勿論、先祖を敬うことは当然のことです。同時に各地ではエイサー踊りが盛んに行われる。街のスーパーははではシーミー祭用のオードブルや惣菜が大量に売り出される。そんな風習が今でも残る文化はとても羨ましい。本島でも与那国島でも同じ文化が残る。子供の頃は山奥の神社から御神輿が降る、途中の家に立ち寄り神輿に差した割った竹竿に花形の色紙を貼り付けたものを配る、お礼にお米やお金を神輿を担いだ神の遣いにあげる。頂いたものは神棚にさしてある、何本もあり毎年毎年の行事であるのが分かる。農作業の種籾を一晩中お風呂に浸して籾を蒔く。今はハウス栽培だが、その昔は田圃に蒔く、その上に保温用シートを被せる、発芽した芽は緑色に成長してビニールを持ち上げる。適度に成長するとビニールを剥がし苗を緑色の丈夫なものに育てる。植え付け、田植えの時季は近所の農家が互いに協力して作業をする。いわゆる結と言われる。足らない時は金銭的にしたのかは今では分からない。味噌造りなども共同作業でやったのを覚えてる。勿論、食事は女性たちが総出で賄う。おにぎり、カツオの素揚げの醤油漬け、たくあん等の保存食。柏餅やぼた餅は最高のデザート。やはり本来の味は忘れられない。最近は年中スーパーで売られている。しかし、和菓子屋さんで買うのが本物だ。桜の葉、柏の葉は本物が良い、緑色のビニールでは食べる気は失せてしまう。年が明けてから何ヶ所かで定着している個体が居る。フィールド内には最大7羽が観察されている。その後は6羽が観察された。三月からは移動が始まる。見慣れた顔や新顔みたいなのも居る。3羽が顔見知りだ。ビジターで新しく入るが長居はしない。今は東水路と学校裏東が楽しみだが東水路だけが定着してほぼ毎日観察する。しかし、夜明けが早まり、俺が歩く時間には採食は終わり休憩中が多い。ツバメがやっと来た、22日初認。既に営巣場所に出入りしている。もうコチドリは来ているが未だ声も聴かない。キジははっきりケーンと鳴くが姿は見せない。カワラヒワがあちこちの茂みのある所でビーンと繰り返す。キジバトはディスプレイフライトを繰り返す。農家の竹藪にキジバトが営巣した、無事巣立ちしたかは不明でした、そんな竹藪は綺麗に整理された。つまり、昨年は竹藪が枝が混み合っていたからよく分からない、しかし今年は枝かわすかすかだからキジバトが抱卵しているのがはっきり分かる。何故、キジバトは同じ竹藪を選ぶのだろうか、生まれ育った場所は成功体験として記憶されている。もっと良い場所は無限にあるのに。成功体験の成せる事だけなのだろうか。成功を願うばかりです。キジバトは最も簡素な巣皿を作るが下から観ると卵が見える程の簡単な巣であり、驚いてしまう。雛たちは複数で意外にも枝移りしながら巣立ちをする。ツバメが普通に観られるのは四月になってから、巣作りは間も無く始まる。耕作田に降りて藁と泥を咥えていく、ほぼ一週間で新築の巣が完成すると産卵抱卵が始まる。雌雄で共同作業になる。とある田舎町に老婦人が営む小さな店がある。そこはお店だけなので近くから通って来る。田舎町の小さな店は土間がある、そこにはツバメが毎年子育てをする。店主は朝夕戸締りをする。子育て中の開店は早い、夜明けと同時に開店する。そろそろ店仕舞いしたいと聞いた。その後は聞いて無い。何十年も続いた民話のような話だが実話です。3月下旬河川敷を歩いた、ハマダイコンが満開、ツグミは数えきれないほど居た、渡りを実感する。学校裏東水路小柄が戻り3日目。画像幸いにも小さな店はツバメが来ている間は朝夕の戸締りだけはしている。と聴いてほっとした。4月は越タシギとのお別れの季節です。2024年春はタシギたちの移動前のセレモニーを見た。フイールド内のタシギたちはどういう理由かは分からないが一か所に集合する、そして水路の壁にたち上空を見る。単独から複数まで何度か観察している。そして数日後にタシギたちは同時に移動した。その飛んで行く姿をはっきりと確認した。これまでは単なる休憩と思っていたが深い意味がある事に気が付いたのです。今季はそれを二度経験した。これまで分からなかったのが明らかになったような気がする。 |
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